旧暦について
この文章は、季節ごとの印刷物として店頭の隅に置いて、お客様に随意にお持ち帰り、お読みいただいているシリーズのコピーです。
2000年1月のものです。







季節や年中行事を追いかけながら商売をしている和菓子屋にとって、「こよみ」に対する関心の深さはお客様がたよりもたぶん大きいかと思います。
まだこれから寒さが本格的になるのに「新春」、桃の花が咲かない「ももの節句」、菖蒲にはまだ早い「端午の節句」、梅雨空に「七夕」(旧暦七夕のころは天気が安定し空が済みきって月は11時ころには沈んでしまい星空がいっそう鮮やかになる)、などの不自然さにはどうしても敏感になります。
旧暦で貯えられた日本人の民俗文化が、そのまま明治6年に始まった新暦の町に引っ越してきたためにギクシャクしてきたもので、そのためか古来の行事が年々先細りの観があるのは和菓子屋にはさみしいかぎりです。

今回は和菓子に直接は関係のないお話しで恐縮しますが、『旧暦のこよみについて』です。調べてみるととても面白かったのでまとめてみました。かなり長くなってしまいましたが、ぜひ読んでください。


旧暦のことをよく陰暦と表現しますが、正しくは太陰太陽暦といいます。月の満ち欠けのみならず、きちんと太陽の計測もしています。1年の長さは太陽で見るので太陽暦と同じですが、太陽暦の方は1太陽年を主として、12ヶ月の割り振りを従としているのにくらべ、太陰太陽暦は月の朔望の方を主として、それを太陽年に合せているという点がちがいます。

中国の殷の時代ころから使われだし東アジア全体に広まったこの暦法は、文字の交流が少なかった近代以前には、月のかたちを見れば今日が何日かおおよそでも判って便利だったかもしれません。いまの太陽暦は月の満ち欠けは関係ありませんがそれでも1年を分割する単位に12カ月を使っています。このことでヨーロッパの文明でも初めは陰暦を使っていたことがわかります。太陽よりも月を崇拝するアラビア諸国でいまでも(宗教的に)使われているイスラム暦は完全な太陰暦で、月の朔望を12回繰り返すことで1年とします。

旧暦の不都合なところは、月の朔望の期間が29日半であるということです。一応29日の小の月と30日の大の月を交互に繰り返しますが、12ヶ月後には354日で1太陽年に11日足りません。
この11日がやがては季節との大きな乖離に育ってゆきます。灼熱のアラビア諸国ならばそれはさしたる不便にならずそのまま突っ走っていきますが、季節との合致を求めて太陽で1年を定めている太陰太陽暦ではそうはいきません。

この11日を2、3年まとめてもう1ヶ月つくります。これを閏月(うるうづき)といい、1年が13ヶ月になる年があります。19年に7回の計算になります。閏八月とか閏九月とか、その月をもう1回やります。いまでは考えにくいことですが。
さらには、朔望日数の29日半(29.53059日)はあくまでも平均で、月の運行にはムラがあって月によって最大6時間も前後します。このため354日とは限らず、大の月と小の月の単純な配列ではすまされないので、大を多くしたり小を少なくしたり年ごとに調整してゆかなければなりません。

このように太陰太陽暦とは、1朔望をひと月と頑固に守りながら、なんとか1太陽年から大きく外れないように、計測と造暦を毎年繰り返すしくみ、といえると思います。

1年の日数は平年で353〜355日、閏年には383〜385日と不定であり各月の大小も毎年変わるので、来年のこよみは前の年の10月ごろの発表を待ってようやく分かる、というものでした。

今日の日が来年には何月何日になっているかわからず、あるいはないかもしれません。旧暦の人々が、誕生日も含めて記念日という思想がないのはこのためです。今日で何周年目という数え方が不可能なので、生れたときがすでに1歳、正月を迎えればみんなでひとつ歳をとる、という数え年の考え方は無理からぬものがあります。

かくして11月ごろには「こよみ売り」が市中を売り歩き、大相撲の番付表の如く人々があらそって見る、という光景になりました。月末決済の商習慣のためその月が大の月か小の月かがもっとも関心事でした。宝暦13年の大小だけが書かれた大小暦には「大好は雑煮、草餅、柏餅、盆のぼた餅、亥の子、寒餅」と書かれてあります。正、3、5、7、10、12月がその年の大の月ということで、こうして毎年語呂合せのように憶えます。
そこらあたりの不確定さに"こよみ"というものに神威のようなものが感じられ、日々の吉凶がもてはやされたものと思います。昔の"こよみ"には日ごとの吉凶占いや干支などの「暦註」がびっしり書込まれています。



1年の日数に大きな差があるというと、当然季節と月日とのズレが生じてきます。春夏秋冬に微妙な変化を織り成すこの国の自然現象を的確に捉えるには、こよみはあまりにも頼りになりません。ことに大切な農業において、播種(はしゅ)の時期や収穫の時期を知るにはまた別の尺度が必要になってきます。

こよみには二十四節気というものが書込まれています。これは太陽の高さによって決まり、季節を明らかにしたり、季節と月名が離れすぎないように調整する役割をします。ご存じでしょうが、七十二候や雑節もまぎれていることが多いので、つぎに掲げておきます。
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
太陽の黄経360度を24等分にして15度づつ、1年を24等分にしておおむね15日づつ進みます。つくられたのははるか昔の中国黄河流域(陝西省西安あたりと推定)なのでその地方の自然現象を表していますが、細長い日本においても大体反映されていると思います。

これによって季節を捉えることができるわけですが、こよみを造る上にもこの二十四節気は利用されます。立春を旧暦正月という言い方がされますが、それはいわば理想的な場合を言っています。
正月の決め方は、(一月とは呼びません)1朔望中雨水をふくむ月を正月とします。起点を冬至に置いて約15日づつの動きですから雨水が真ん中にくれば立春が元日となって啓蟄の手前までが正月となって理想的です。
だが雨水が月のうちの何日に入るかは月のみぞ知るで、往々にして立春が元日の前になることがあり、「年内立春」といわれます。

二月は春分、三月は穀雨と1つおきのものが月の中に入るように各月を定めますが、先に述べたようにやがてはズレてきます。両者の間にもう1朔望できるほど開いてしまうと閏月を入れて仕切り直しとします。・・・・ホントはもっとずっと複雑ですが。


このように暦を造るには人間の裁量が入りますので、当然どこかに機関を決めてそこに限定されなければなりません。江戸時代では幕府天文方(浅草天文台)に委ねられ、そこで月日の決定や満潮干潮などが書込まれました。出来上るとさらに京都に送られ、京都の代々の暦家によって毎日毎日に盛り沢山の暦註が施されます。

お手元にこよみの冊子があればご覧になっていただけますが、表の上の部分が江戸で、下の部分が京で作られることになります。完成して幕府のチェックを受けますが、あとは専門の暦師が印刷して、階級の上からすそ野まで徐々に頒布されてゆくしくみでした。

明治6年から新暦に変わりましたが、それまで使われていた旧暦は天保暦といい、太陰太陽暦ではもっとも改良された高水準のものだったそうです。


六曜というものがあります。ご存じの先勝 友引 先負 仏滅 大安 赤口です。
読み方は人によってまちまちなので書き込みません。現代のカレンダーにただ一つ生き残ったといっていい日占いで、なんとなくこれへのこだわりが捨て切れないのが人情です。

中国から室町ころに輸入されましたが、はじめは泰安 流連 則吉 赤口 周吉 虚亡などとなっていました。 虚亡が物滅と変わり仏滅になったもので、べつにお釈迦様の命日ではありません。
輸入されはしましたがその頃の暦にはもっと精緻な日占いや運勢占いが求められ、単純すぎてまったく日の目を見ませんでした。明治以降に現れるようになったもののようです。

明治政府は新暦改暦後もこよみの発行を独占し続け、民間が勝手にこよみを作製印刷頒布することをいっさい許可しませんでした(私暦の禁止)。昭和20年の出版自由化まで続きましたが、ご存じでしたか。私は知りませんでした。いまでは東京天文台が前年に『暦象年表』を発表し、『理科年表』の中に掲載されてこれによってカレンダーを作ります。これによらなくても罪にはなりません。

しかしながらそこはそれ、実際には「おばけ」と呼ばれる海賊版の私暦がたくさん出回ったのも現実です。官暦(本暦)は、新暦改革は近代化のために行ったものであるとして、旧暦の併載と迷信や占いの暦註をまったく記載しませんでしたので、必要とする人々は生活習慣の基盤を失うことになり、なおさらこれらを併せ持ったおばけ暦が重宝がられました。

私暦は一応ご法度ものです。旧暦の日付の書込みはまだしも、暦註(日占い)についてはそう堂々と展開するのははばかられます。そこでもっともシンプルな六曜が起用されてきました。


六曜は、七曜(月火水木・・)と同様に六つの組合わせの繰り返しで、それぞれに日の吉凶の意味を持ちますすが、カレンダーを見てみると時折連続が途切れることがわかります。
そこらあたりにどこか占い性、神威性が感じられ、現代でも日を選ぶ際によく用いられます。ところが残念ながらまったく機械的な配当にすぎません。種明かしをしますと、正月は先勝から、二月は友引から、三月は先負から、四月は仏滅から、五月は大安から、六月は赤口からはじまる、と決まっています。七月からもまた正月からと同じ繰り返し。

これを旧暦に配当したものを新暦のカレンダーで見るから、月中にいきなり順序がジャンプしてしまって不思議にみえるのです。月火水木・・と変わりないただの曜日にすぎませんが、七曜も本当は日の吉凶の意味を持っています。占い好きにはどこまでいってもかないません。


十干十二支があります。ふつう干支(えと)と略し、東洋の昔からの月日の数え方です。10の干(甲乙丙丁・・)を12の支(子丑寅卯・・)でからめて60を一還りとします。

これを年・月・日のそれぞれにあてはめてゆくしくみで、こよみがまだ出来上がるはるか以前から始まっております。こよみは人の裁量が入るため、国によって年によって差違があって互いにあてになりませんが、この十干十二支は太古の中国から連綿と続いており、今日の韓国日本に至るまで共通して正確です。

古文書に、たとえば「戊辰の年の庚午の月の癸未の日」とあれば、即ち計算によって西暦の何年何月何日の出来事とわかるように利用されます。

またかなり初期から陰陽五行説という運勢説を生み、10の天干と12の地支(もとは動物の意味はありません)の60通りに意味付けがされ、こんにちまでもっぱら性格や運勢などの占いの対象として使われています。



《参考》
『暦を読む』 岡田芳朗 三修社
『暦の語る日本の歴史』 内田正男 そしえて文庫
『暦』 広瀬秀雄 東京堂出版
『明治改暦』 岡田芳朗 大
修館書店 ほか
シリース前作 ≪新暦について≫ も読んでください。
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